住まい探しはハトマーク

株式会社オーリアル/栃木県宇都宮市

地域の安全性を確保する取り組み

<取材日:2021年7月14日>

 

障がい者の“翻訳者”となり、
住みやすい環境を整える

ハードのバリアをハートで取り除き、自由に外出できる社会に

 

・まちの魅力の象徴となるキーテナントを呼び込む

・社会のバリアを取り除き、住環境、外出環境、就労環境を整備する

・目指すのは「行ける店ではなく、行きたい店に行ける社会」

・子供達に命の大切さを伝える

 


 

まちの魅力の象徴となるキーテナントを呼び込む

─貴社の事業内容について教えてください

 不動産業に携わるきっかけは、東京の大学を卒業するにあたり就職先を考えたときに、父から「仕事をするならきついところを選べ、仕事がきつければそれだけ楽しみや報酬に跳ね返ってくる」と言われていたことと、中学校時代からの夢が「将来社長になること」だったことからマンションデベロッパーを選択しました。そこは飛び込み営業をするような会社でしたが、仕事は本当に楽しく、3年目には役職者になりプロジェクトを任されるまでになりました。そこで感じたのが、不動産の仕事は、お客様の人生の中で最も高い買い物の決断のお手伝いをする仕事であり、尊い仕事だということです。

 その後、「中古マンションの仲介や新築マンションの販売をしよう」と地元に戻り、2006年に個人事業主としてオー・リアルホームを立ち上げ、2年後に法人化して社名をオーリアルにしました。しかし、7年ぶりに地元・宇都宮に戻ってみると、駅ビルの百貨店は撤退し、学生の頃よく遊んだまちなかの商店街も衰退しており、もう私の知っている故郷ではなくなっていました。そのような光景を目の当たりにし、予定していた事業計画は全て白紙にしてまちづくりをしようと決め、事業用の不動産を中心に扱うことにしました。

 そこで最初にチャレンジしたのが、地元である日光街道沿いにスターバックスコーヒーを誘致することでした。まちづくりに必要なことは地域で求められているニーズを掘り起こし、地主と事業者をマッチングすることですが、いろいろな場所でマンションを販売していると、まちに力を与えるには魅力的なキーテナントを呼び込むことが必要だと感じていました。当社の周辺エリアは高額所得者が多く、カフェ文化が根付く土壌があったことと、ちょうど全国チェーンのレストランが撤退した跡地があったことから、スターバックスと美容院を併設した店舗を作れば地域の皆様に喜んでいただけるのではと思いました。当時スターバックスコーヒーに出店を打診した時は、地方の郊外ということもあり、あまり反応は良くなかったのですが、諦めずに連絡をとり続けた結果、担当者が現地に来てくれることになりました。案内当日までにエリア特性や魅力をしっかりと伝え、この場所が適切だと確信いただけるようにプランを立て、車で近隣を案内しました。また、宇都宮駅から現地までの道すがら「このあたりは5,000万円以上の住宅が並ぶ600世帯を超える高級住宅街が広がり、日光街道沿いという誰でもわかる場所なので、需要も見込め、貴社の客層とも一致します」と事実ベースで説明をしました。するとその場で前向きに検討してくれることになり、しばらくして出店が決まり、既に15年間継続しています。この仕事のおかげで「スターバックスを誘致した大塚さん」と紹介されることが多くなり、仕事が進めやすくなりました。

 

─その後大きな事故に遭われたと聞いています

 2009年に事故に遭い脊髄を損傷してしまいました。事故から3日間意識不明で、集中治療室にいる間、父が毎日見舞いに来てくれて、その際必ず「命があればあとはかすり傷」と言うのです。その言葉のおかげで3週間後に主治医の先生から「あなたの足は一生動きません。一生車いすの生活になります」と宣告された時もすぐに受け容れることができました。しかし、五体満足に生んでくれた両親に申し訳ないという気持ちから涙が止めどもなく流れました。父からの「命があればあとはかすり傷」という言葉が私の背中を押し、私の思考回路をプラスの方向に向かわせてくれたのだと思います。

 

 

社会のバリアを取り除き、住環境、外出環境、就労環境を整備する

─障がいを持つ方にとって周りの社会がどう変わればいいと思いますか

 事故に遭ったことからこれからは事業用不動産だけでは厳しいと思いました。そこで、入院していた5か月半の間、時間はあるし、周りは障がいを持つ人ばかりだったので課題の宝庫だと思い、彼らが何に不安を感じているか、何に不便さを感じているかについてヒアリングして回りました。すると最も多かったのが「自分が帰れる家がない」という回答でした。現在住んでいるアパートは階段しかない。トイレや浴室に段差があり、扉も狭いため入ることができない。今までの住まいには戻れないから賃貸借契約を解約したという方がいました。さらに、「初めての外出が会社に退職届を出しに行くことだった」という話をする方もいました。入院中に勤務先の社長が来て「申し訳ないが、君が戻ってくる環境を当社では整える体力がない」と言われたそうです。この話を聞いて、「中小企業では一人のために段差の解消や多目的トイレを作ることはできないだろう。一方的に経営者のことは責められない、就労を導くための環境をどう作るかは社会の大きな課題だ」と思いました。

 ヒアリングを通じて、障がい者にとって3つの環境整備が必要だということがわかりました。まず、帰れる家を作るという“住環境整備”、次に社会参加をしたり勤労意欲が高まるきっかけとなる“外出環境整備”、そして、“就労環境整備”です。全ての経営者が、障がいのある人たちを雇うことが自分の会社の資産になるというポジティブなマインドを持てるように社会の構造を変え、障がいを持つ方が納税者になれるような社会を最終的に作っていくことが私の使命だと思いました。

 そして、障がいというのはその人たちの内側にあるのではなく、外側の社会にあるということにも気づきました。つまり社会環境の中に障害(バリア)があるために障がい者が外に出にくいのであって、それさえ解消できれば障がい者も働けるし、外出できる。そして、自由に家を選べるわけです。社会にある障害を解決することによって、多様な選択肢を得ることができると思いました。そこからは、事業のアイデアが湯水のように湧いてきました。しかも、周りは障がいを持つ人ばかりという環境にいたので、「このアイデアは実現できたらいいと思う?」と質問し、それぞれの意見や考え方を教えてもらいました。

 

─住環境整備に関しては具体的にどうようなことをしたのですか

 まず、帰れる家を作るためにモデルルームを作ることにしました。自社で買い取った平屋の家があったので、そこに車いす対応のバリアフリー住宅を作りました。入院中に、ある女性から「不動産業をやっているのなら今度改築する予定の家を見て欲しい」と相談がありました。実際に図面を見ると、その女性が入るはずのない部屋まで全て引き戸に変更されていたり、必要がないところに手摺りが設置されていたり、全く住む人の実態に即していない提案になっていました。やはり設計者は当事者でないため、障がいのある人の要望や実情がわからないのです。そこで、障がい者とハウスメーカーとの間に入り、“障がい者の翻訳者”になろうと、モデルルームを活用してバリアフリー住宅の新築や、改修の請負とコンサルタント事業をすることにしました。

 さらに、賃貸住宅のオーナーに対してもコンサルティングすることにしました。宇都宮市の市営住宅の中で車いす対応住宅は31戸しかなく、いつも満室で借りることができません。そこで、民間賃貸アパートの1階が空き部屋になりやすいことに着目して、大家さんに空室対策の一環として車椅子対応のバリアフリーの部屋に改修投資することを提案しています。車いすユーザーはエレベーターのない物件では、1階の部屋を希望しますし、バリアフリーの部屋が少ないので一度住めば長期間入居してくれます。従って、改修に200万円投資をしても10年~15年間は空きが出ないので、十分回収できます。今後、築15年~20年のアパートのオーナーをターゲットに営業をかけ、今まで賃貸住宅を自由に選ぶことのできなかった人たちをマーケットに取り込むことによって、市場も活性化するのではないかと思っています。

 

車椅子対応のオープンハウス「ミタス」、間口の幅やコンセントの位置など細かい心配りがされている

 

─居住用賃貸住宅だけでなく、公共の機関や商業施設のバリアフリー化の提案もされています

 多目的トイレなど、車いすユーザーのために手摺りが設けられていますが、もったいないケースが見られます。車いすから便座に移るときにトイレに対して直角に移乗する人もいれば、真横からスライドして移乗する人もいます。その場合、移動側の手摺りは固定ではなく跳ね上げ式かスイング式が望ましいです。その他にも手の届かない位置に手摺りがついていたり、背もたれがあるのに便ふたが邪魔をして機能を果たしていないということもあります。施工者が悪いわけではなく、明確な基準がないことが問題です。

 駐車場についても使い手の想像力が欠如していると感じることが多々あります。車いすのマークが付いているにも関わらず、一般車の駐車スペースの幅と一緒だったりします。また、車いすの駐車スペースは、建物の入り口付近に設けることが推奨されていますが、傾斜が急な場所に設置されているケースもあります。

 

障がい者向けのトイレも使い勝手が悪い場合がある

コンサルティングして完成した栃木銀行の駐車スペース

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目指すのは「行ける店ではなく、行きたい店に行ける社会」

─NPO法人アクセシブル・ラボの狙いや活動内容を教えてください

 バリアフリーのコンサルティングをしていると、ハード面だけでは社会側の障害の解消は進まないと感じました。障がい者が欲しいと思う情報が無かったり、情報提供の仕方について事業者側が知らないなど、ソフト面でのバリアフリーのコンサルティングが必要だと思いました。当初は当社の事業として行おうと思いましたが、ある方に相談したところ、「あなたのしようとしている事業は行政を巻き込んでいく事業になるだろうから、非営利団体の方が参入しやすいだろう」とアドバイスをもらい、NPO法人にしました。

 まず、最初に始めたのが『アクセシブルナビ』という車いすユーザーが目的別に外出先を検索できるサイトを立ち上げました。掲載店舗は約250軒ですが、段差がなく、多目的トイレのあるお店は半分くらいです。このサイトではバリアフリーのお店を紹介しているわけではなく、サイトのコンセプトである「ハードのバリアをハートで解消してくれる」お店を紹介しています。そのため、掲載には明確な基準があります。まず、入り口の幅が60cm以上あること、次にエントランス前の段差が5段以下、そして最後が、「車いすユーザーもウエルカムです」と言ってくれることです。これらを満たしていれば、多目的トイレや車いす対応の駐車場がなくても構いません。むしろ「無い」という情報が車いすユーザーは欲しいのです。多目的トイレがないということが事前にわかっていれば、近くの公共施設で済ませてから行こうという準備ができます。

 

アクセシブル・ラボのホームページ

 

 そうやって、まち全体でバリアフリーに取り組めば、行ける店が増えていきます。車いすユーザーは皆さんと同様、雑誌やテレビで紹介されるような人気のお店に行きたいのです。しかし「入り口に段差があったら無理」と考えてしまい、行きたい店ではなく行ける店を選んでしまいます。入院中に、自ら周りの人に「持ち上げて欲しい」と言える車いすユーザーは少ないということを感じました。そこで言える環境を作ろうと、お店の人にちょっと歩み寄ってもらい「私たちウエルカムです。店に段差はありますけど皆で持ち上げます」という意思表示をしてもらっています。

 

少しの思いやりで段差を解消できる

 一方、障がいを持つ人にとってバリアフリーの定義はそれぞれ違います。視覚障がい者はスロープよりも点字メニューがあった方がいいですし、半身に麻痺のある人は長いスロープより階段に手すりがあった方がいい場合もあります。そういうことも入院中に知りました。そこで、このサイトでは、お店のハードの情報を数字と画像で示し、障がい者本人が判断できる材料を提供しています。また、お店紹介のレポートは全て車いすユーザーに依頼し、1回1,000円の報酬を支払っています。少ない額ですが、報酬があって、自分が取材した情報がサイトに載り、誰かの役に立っているという実感をもつことが社会参加意欲の高まりになると思います。僕たちのNPOの仕事に関わってくれた方には、必ず報酬を出させていただいています。

 

 

 

─その他、大手企業のコンサルティングもされています

 LIXILさんから相談を受けて、玄関ドアを自動で開閉できるシステムを一緒に作りました。既存の住宅をバリアフリーに改修するときに、開き戸のドアは引き戸にするしかありませんでした。そのため、既存のドアを廃棄し、引き戸を格納するスペースを作るために家の一部を解体するのでコストと工期がかかります。それを開き戸のまま電動化すれば、工期は3~5時間程度で済み、安上がりですし、既存のドアを活かせます。このプロジェクトはインクルーシブデザイン※1といい、開発初期段階から障がい当事者が参画し、ローンチまで伴走し続ける手法をとっています。

 また、NPOを立ち上げて最初にコンサルティングを依頼された案件は全日空さんからで、車いすユーザーが必要としている情報をわかりやすく提供する方法や、覆面調査、そして車いすのアシスト方法の研修を提供させていただきました。

 

 

子供達に命の大切さを伝える

─宇都宮に戻られてから地域活動も熱心に取り組まれています

 スウェーデン製の交通安全グッズで『グリミス』という反射板を、地元の上戸祭小学校に2011年から11年間、毎年寄贈しています。車いす生活になった人に聞くと、交通事故の人が圧倒的に多く、特に暗い時間に夜道を横断するときに事故に遭ったというケースが結構ありました。それは、運転手側だけに問題があるのではなく、歩行者側も自分の存在を運転者に知らせるアイテムを持つべきだと思い、上戸祭地区でそのような事故が一件も起きないようにという想いで贈っています。また、私がプレゼントをしに行くことによって、子供たちが抱く障がい者のイメージを変えたいと思っています。

小学校での講演の様子

 私自身子供の頃、重度の障がい者がいる施設見学の経験がありますが、やはり「可哀そう」と思ってしまいました。しかし、可哀そうと思わせた時点で障がい者に対して心のバリアを作ってしまっているのです。そこで小学校では、速く車いすを走らせたり前輪をあげたりすると、子供たちは「超早い!」「ウイリーやってる!」と目を輝かせ、強いインパクトを残すことができます。交通安全の話、命の大切さ、障がい者教育の3つを伝えています。

 2006年に宇都宮に戻ってきたときは、すでに地元経済が疲弊し、2003年から花火大会が中止されている状況でした。そこで、ある先輩経営者から「まち起こしをやりたいならやってみたらどうだ」と言われ、勢いで「やります」と返事してしまいました(笑)。不動産業を始めるときにやろうと決めた“まちづくり”は不動産業的テクニックでできますが、“まち起こし”は人を動かすというソフトの面が必要です。スターバックスを誘致したように、おしゃれな店が多くなれば住みたい人が増え、流入人口が増えれば地域が活性化し、子供たちも増えサスティナブルなまちになります。

 その意味で、花火大会の復活はとても大切だと思い、地元有志とともに実行委員会を立ち上げ、2007年に復活することができました。同時に、3年間花火大会がなかったので、宇都宮市内の幼稚園に声をかけ、年長さんに花火の絵を描いてもらい展覧会を開きました。翌年にはその絵の中からいくつかピックアップをし、そのデザインの花火を実際に夜空に打ち上げました。私たちが小さい頃から花火を見ることができたのは、その当時の大人たちが頑張ってくれたからです。だから今度は私たちが頑張る番だと思っています。未来を背負う子供たちに、ちゃんと夢を見させたいという思いを込めて、“子供たちに夢と希望と感動を”というスローガンを立てました。

 

─学生に講演をされていますが、どのようなことを伝えていますか

 学生のみなさんには「命を大切にしてほしい」と伝えています。奇跡的な確率でこの世に生を受け、皆幸せになるために生まれてきているはずなのに、取り巻く環境などに邪魔をされて、その幸せを享受できない子供がいます。皆幸せになる権利を持って生まれてきているはずなので、自分の命を大切にすること、そして他人の命も大切にすることが重要です。他の誰かがつらいと思っているときにその声をキャッチできる、自分が手を差し伸べられる、そんな強い人になってもらいたいと思い、話をしています。私が「命があればあとはかすり傷」という言葉で前に進めたのも、支えてくれた先輩や友達、そして何より家族がいてくれたからだと思います。

 

※1 高齢者、障がい者、外国人など、従来、デザインプロセスから除外されてきた多様な人々を、デザインプロセスの上流から巻き込むデザイン手法

 


 

大塚 訓平(おおつか くんぺい) 氏

1980年生まれ。栃木県出身。大学卒業後、扶桑レクセル(現大京)に入社し、分譲マンションの販売営業に携わる。3年後に地元栃木県に戻り、オーリアル(不動産業)を創業。事業用不動産を専門に取り扱い、まちづくりを推進。2009年に不慮の事故で脊髄を損傷。車いす生活になったことで、バリアフリーの環境整備にも注力。独自の目線で、インクルーシブデザインを活用し、さまざまな企業の製品やサービス開発コンサルティングを中心に事業展開する。

 

 

 

株式会社オーリアル

代表者:大塚 訓平
所在地:栃木県宇都宮市上戸祭町551
電 話:028-622-3905
H P:http://www.oreal.co.jp/
業務内容:不動産売買、賃貸借及びその仲介、代理、斡旋並びに分譲、管理、土地有効活用の企画及びコンサルティング、リノベーション事業の企画及びコンサルティング、不動産事業(不動産の売買、賃貸借及びその仲介、管理、分譲)、バリアフリーコンサルティング事業、リハビリデイサービス事業、美容室事業